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岐阜と岐山

どうもみなさまこんばんは。  今日は友人と岐阜へ日帰りスキーに行ってきました。 

 この時期ということや、今年は暖冬だということもあり、あまり雪はありませんでしたが久しぶりのスキーを楽しめました。

さて今日私が出かけた「岐阜」ですがあまり日本にはなじみのない地名だと思ったことはありませんか?

「岐阜」と名をつけたのはかの有名な織田信長と言われています。 一説によると信長が当時の美濃国を平定した時に、沢彦という僧侶にこの地名を進められたそうです。

その由来は、中国に「岐山」という山があり、古代中国の周王朝の王がこの山を足場にして天下をおさめたこと。 だそうです。
ちなみに「阜」には「丘の上」という意味があるそうです。 それから信長は、「稲葉山城」、「岐阜城」に改め、天下統一の実行に移ることになりました。

昔の戦国武将が、中国の故事を参考にして土地の名前を決めたという事実はとても面白いです。全国の地名の由来を調べてみると、案外面白い発見があるかもしれません。

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2016.03.07 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史



大阪城

どうも皆様こんにちは。 先週東京に行き、今週は大阪に行きました。 珍しく忙しい日々を過ごしています。 さて大阪のどこにいったかというと、かの有名な大阪城に行きました。

携帯の電池がなくて一枚しか撮れませんでした。 それに夕方に行ったので中には入れませんでした。笑

大阪城は豊臣秀吉が築城をし、豊臣家の権力の象徴だったのですがその前は石山本願寺というお寺でした。 しかしただの寺ではなく、「一向宗」の寺です。 戦国時代、一向宗はただの宗教に収まらず、大名に歯向い、国一つを統治するほど力がありました。それに真っ向から対抗していたのが織田信長です。彼と一向宗の戦いは長きにわたり、信長は一向宗に弟を殺され、一向宗も信長によって壊滅的打撃を与えられ、石山本願寺は最終的には廃墟になってしまいました。信長は本願寺を何回も攻めましたが、断念しています。 瀬戸内海に近く、さらに山陽地方への通り道ということもあって、水運、陸運に優れていたため、交通の要衝でもあり、防御しやすい地形だったようです。 城造りの天才と言われた秀吉がなぜもの寺院に大きな城を作ったのかがよくわかります。

2016.03.02 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史



日光東照宮

どうも皆様こんばんは。 前回卒業旅行に行くと言ったと思いますが東京からどこにいったかと言いますと、世界遺産でもある日光東照宮に行ってきました。

浅草から電車で行ったのですが区間快速で三時間近くかかり、「栃木県って意外と遠いんだな」と思いました。

さてこの東照宮ですが、江戸幕府初代将軍である徳川家康を祀ってあることは有名ですが今のような豪華な建物にしたのは孫の家光であることはあまり知られていません。 彼の幼名は竹千代であり、これは家康の幼名でもありました。
当時の幕府は最盛期と言っていいほど権力、財力があり、朝廷をはるかに凌ぐものでした。 日光東照宮を訪れてみると、当時の幕府が財力をかなり持っていたことがわかります。 過去の権力者たちが自分の権力を示すため豪華な建物をつくるのは古今東西有り触れているのですが今回の旅行でそれがよくわかりました。


2016.02.27 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史



大河ドラマ

どうも皆様こんばんは。相変わらず寒い日々が続いています。 さて最近の私の楽しみと致しましては今年から始まった大河ドラマ
「真田丸」の視聴を楽しみにしています。去年の大河ドラマは特に見ていなかったのですが今年はまだ第三回までしか放送されていませんが楽しく見ています。

 さてその「真田丸」ですが戦国時代をテーマにしているので激しく、迫力のある合戦シーンを想像しがちですが今のところ正直とても地味です。追剥や農民との小競り合いがとても多いです。当時真田氏は地方の一豪族で、「真田幸村」の名が出てくるのはもっと後のことです。本能寺の変頃の年代に彼が何をしていたかよくわからないようです。 やはり一番の見どころは大阪夏の陣なのでしょうか。


 大河ドラマが扱う時代テーマですがここ最近は戦国と幕末を、一年ごとに主人公を男性と女性と入れ替えて行われることが通例となってきました。しかし個人的には戦国や幕末だけでなく、鎌倉末期や南北朝時代をテーマにした大河ドラマも見てみたいと思います。主人公も男性と女性の交代制に拘ることなく、面白そうな人物を主人公にして欲しいです。 大河ドラマなのにあまり資料がない人物を主人公にするのは歴史ドラマとして成り立たないような気がします。

2016.01.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史



曹操は悪役ではない?

どうも皆様こんにちは。 せっかくの休日ですが私の地域はあいにくの雨天であります。

 さて今日は三国志の話をしたいと思います。中国人より日本人のほうがなじみが深いであろう三国志。
私も小学生のときに嵌り、小説を読む漁っていた時期がありましたが最近ではほとんど読まなくなった三国志。
しかし最近家にあった本を見つけました。それは、三国志の中の曹操に焦点を絞った本でした。

三国志を読んだことがある方はわかると思いますが基本的に三国志において曹操は悪役として扱われています。
漢王朝をないがしろにし、自らが皇帝になろうとしていた逆賊である。と。しかしそれは三国志の主流となっている「三国志演義」での話であることはあまりにも有名な話です。正史の「三国志」は曹操がほとんど主人公と扱われていて、曹操の魏を中心に描いています。「三国志演義」は三国志の時代から千年以上の時を経て書かれているので読み物的な要素があり、事実と違うところがよくあります。

 曹操は当時の中国で問題となっていた慢性な食糧不足を屯田制によって解決に導きました。多くの民がそれによって救われたという事実があります。悪役として扱われやすい曹操ですが、悪政を敷いたどころか、常に農民のことを考えていたようです。

逆に三国志演義では主役として扱われる諸葛亮孔明ですが正史から見てみると明らかに国力で劣る魏を何回も攻め、それほどの功績をあげられずに、民を疲弊させていたことが指摘されていました。  現代の読み物的な三国志や、ゲームではあまり取りざたされない観点が面白かったです。、歴史というものは後世への伝え方によって、印象が変わってしまういい典型例だと感じました。

 近年曹操の墓だとされるものが中国で発見されたので、これから曹操がどんな人物であったか研究が進むのが楽しみです。

参考文献   酒井穣 曹操-乱世をいかに生きるか- 株式会社PHP研究所  2015

2015.12.23 | | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史



アッティラの意外な人生

どうもみなさまこんばんは。前回モンゴルについての記事を書かさせて頂きました。
その時書いていてふと思ったのが「遊牧民族と言えばフン族がいたな」と思いました。なので今日は短いですがフン、特にその指導者のアッティラについて話そうと思います。
皆様はフン族、そしてアッティラを知っていますか?だれもが一度は聞いたことがあると思いますが、西ローマ帝国を間接的に滅亡に追い込んだゲルマン民族の大移動を引き起こした張本人です。フン族の勢力拡大がローマの勢力圏にゲルマン民族が侵入するきっかけとなり、西洋諸国の歴史に大きな影響を与えました。その当時の指導者がアッティラです。

名前は有名ですが彼が何をしたかはあまり知られていません。特に彼が当時の西ローマ帝国の皇帝の姉であるホノーリアに求婚されたことを口実に、西ローマのガリア(現在のフランス)に進出したことはあまり知られていません。それにしてもローマ人から野蛮人と扱われていたフン族の王に皇帝の姉が求婚するなど今でも信じられません笑。そしてその過程で、有名なカタラウヌムの戦いが起き、フンは西ローマの将軍のアエティウス率いる連合軍に敗れました。
 
驚くことにこのアエティウスは、幼少期にフン族の人質となっており、アッティラと親交があったらしく、いわば幼馴染です。
これだけでも面白いのに、彼の人生の面白さは、死ぬときにも表れています。彼の死因は諸説ありますが、私が昔読んだ本によると、自身の結婚式を祝う主席が終わった後、机に突っ伏して寝ている間にずっと鼻血が出てしまったことによる失血死だそうです笑。どうやら鼻血が止まらない体質だったらしく、薬を普段は飲んでいるらしかったのですがその時は飲んでいなかったとか・・・。
まあ正直これは信憑性が低いでしょう。毒殺か、飲酒のしすぎによるアルコール中毒とかが考えられますが、いずれにしても宴席で急死したのは事実のようです。フン族はアッティラが死んだあと、間もなく瓦解します。モンゴルと同じく、フンはアッティラの強いリーダーシップによって高い士気を発揮していたので彼が死ぬと、動揺が走り、後継者を巡って内部争いが繰り広げられたからです。

 皇帝の姉から求婚され、幼馴染と死闘を繰り広げ、最後は鼻血を出して死ぬ。こんな人生を送る人間は後にも先にも彼しかいないでしょう。教科書では名前しか出ない人物も、それぞれ突き詰めてみると、面白い情報が手に入るかもしれません。アッティラはその典型例でしょう。

2015.12.07 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史



モンゴルとパルティアン・ショット

 どうも皆様こんばんは。 今日は久しぶりに歴史の話をしようと思います。 しかし歴史といっても何を話そうか先週考えていたところ、友人から「モンゴルってなんであんなに強かったの?」ということを聞かれました。なので今日はモンゴルについて話そうと思います。
現代ではモンゴルといえば、石炭の世界有数の産出国でありますが、日常的には大相撲でしか名前を聞かない正直地味な存在です。
しかし中世においては、モンゴルという民族は世界史に大きな影響力を与えていました。領土も今とは比べものにならないほど広く、最盛期には東は朝鮮半島、西は中東までというローマ帝国を凌駕する広さがありました。これはやはり軍事力の賜物でしょう。二本にも攻めてきたのは皆様ご存知でしょう。
 
ではなぜモンゴルの軍事力が強かったのか。その要因はいろいろありますが一つ目は、士気の高さが挙げられるでしょう。モンゴルの指導者は「ハン」と呼ばれ、大きな統率力を持っていました。チンギス・ハンがモンゴル帝国のトップとして君臨して以来、ハンは彼ら一族が世襲してきました。それだけならばどこの世界にもよくあるのですがモンゴル族は、「ハン」を決める必要性が出るたびに、「クリルタイ」という有力者が集まる会議みたいなもので「ハン」を決めました。ハンの選出は出来レースだったかもしれませんが先代のハンが独断で決めれなく、有力者の支持が得られて選出されるという形式なので多くの支持が集まりやすく、したがって士気も高まりやすかったのです。

 そしてもう一つが馬の扱いのうまさです。幼少から馬に乗って生活しているためモンゴルの兵士は乗馬の達人であり、長距離を移動するために馬を2,3頭連れて行き一頭の馬が疲れたら連れている馬に乗り換えることで、驚異の行軍速度を可能にしました。
 さらに、実際の戦闘においても馬による機動力の高さを大いに発揮していました。
モンゴルの主戦力はマングダイと呼ばれる軽装弓騎兵です。彼らは突然近づき、離れたところから矢を放ち、敵が近づいてくる前に戦線を離脱することを繰り返し、敵軍を混乱させることに長けていました。さらに驚異なのが、パルティアン・ショットです。
これはモンゴル軍に限らず、遊牧民がよくする戦法なのですが、敵の騎兵の追跡を受けた場合、逃げながら振り向きざまに矢を放つという戦法です。文字に起こすと単純なのですが実際の威力は計り知れないです。敵は犠牲を増やさないために追跡を辞めざるを得なくなるからです。
 さてなぜこの戦法がモンゴリアン・ショットではなくパルティアン・ショットであるかということですが一説によるとローマ相手にこの戦法をとったのがパルティアだからということみたいです。 現在では、議会を後にするときの捨て台詞のことをパルティアン・ショットといいます。
 軽騎兵が主力ならば要塞は落としにくいのではないかという意見が出ると思います。確かにモンゴルは攻城戦は苦手でした。しかし西方に領土を拡大するにつれて、城攻めをする際の新しい技術、回回砲という兵器をペルシアの技術者から獲得しました。
回回砲とは西洋で使われたトレビュシェットみたいなもので、
300px-Trebuchet.jpg

このような形をしています。これで城に向けて石を飛ばし、城郭を破壊します。中国攻めの時にはこれが使われ一定の成果が上がったそうです。 西洋諸国の城に対しては使用されたという記録がないので残念ながらわかりません。

最後に、モンゴルの弱点でありますが、長所として挙げた指揮の高さがそのまま短所にもなります。「ハン」は強い統率力を発揮するためハンが死ぬと、突然士気が下がります。これは遊牧民にはよくあることなのですが、モンゴルの場合遠征している場合ハンが死ぬとクリルタイを開く必要がありますのでいったんモンゴル本国に戻らなければなりません。それによってせっかくあと少しで落とせた城を落とせなくなる。ということが何回もあったそうです。西洋諸国にとってはありがたかったでしょうが笑。 それにしても士気の高さが逆に弱点になるのはなんとも皮肉なことですね。

2015.12.02 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史



最後の要塞竹田城

image.jpeg


 どうもみなさまこんばんは。前回姫路城の写真をあげたと思うのですがその前にある場所に寄ってきました。鳥取砂丘から城崎温泉へいき、そこで泊まり、翌日にそこから姫路城に向かったのですがその道中には近年注目を浴びるようになったある城があるのです。


その名も「竹田城」

少し前にやってたグーグルのCMで紹介されていましたが「日本のマチュピチュ」と呼ばれているそうですね。冒頭の写真はその竹田城が見える山からとった写真です。

そしてこの竹田城、築城に関しては謎が多く、一説によると15世紀に室町時代の山名持豊によって築城されたとする説がありますが定かではありません。しかしその当時の城主は山名氏の配下である太田垣氏であったといわれているので信憑性はあるでしょう。


 さてこの竹田城が歴史的に興味深いのが、この城は、最も遅く作られた山頂の城の一つであるという点です。築城された15世紀までは、城というものは攻めにくい山の上に作るのがセオリーでした。鎌倉時代、南北朝時代に活躍した楠木正成は、山城を駆使することによって、鎌倉幕府軍に大打撃を与えました。(千早城の戦いなど)さらに、岐阜城なども典型的な山城です。竹田城も例によって、山の上に作られています。戦乱が絶えなかった室町後期、戦国時代においては何よりも攻められにくい城というものに重点が置かれていました。

 しかし織田信長や豊臣秀吉などは、自分たちの居住する城となる長浜城、安土城、大阪城などはどれも交通の要所に建てられています。(安土城はもうありませんが・・・)彼らは城を難攻不落の要塞としては作らず、交通の要所に城をつくることで経済活動を優位に進めようとしていました。大阪城は大阪湾のすぐそこに位置していました。長浜城や安土城は琵琶湖の近くに作られました。それから江戸時代に入ると、山に城を作る必要は完全になくなりました。戦乱がなくなり、大名は参勤交代で一年ごとに江戸に行かなければならなく、山上にある城はただ不便な城になるためです。櫓や壁を何個もつくって要塞化することは完全に無意味になりました。(武家諸法度で新たな城を作ることに規制がかかっていたということもありますが・・・)

そういう意味では竹田城は「戦争のために作られた」末期の城といっていいでしょう。日本にはさまざまな城があります。
その城一つ一つの作られた目的や、その当時の時代背景を把握するととても面白いです。日本のマチュピチュは日本に作られた最後の要塞だったのかもしれません。

2015.11.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史



姫路城の皮肉

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どうも皆様こんにちは。 この間ツイッターでも報告しましたが鳥取砂丘に行った帰りに姫路城にも寄ってきました。 冒頭は姫路城の写真です。 初めて姫路城を見ましたがその壮観さに驚きました。さすが白鷺城の異名を取り、世界遺産に指定された城だと思いましたね。

そんな姫路城ですが築城当時は今のような豪華な外装ではなかったのです。去年の大河ドラマでやっていた黒田官兵衛、彼の祖父が当時の主君であった小寺氏から居館を預かり砦のようなものに改築したのが始まりと言われています。(諸説あります。)

そして江戸時代に入り城主となった池田輝政により現在のような大規模な城郭となりました。


さて姫路城で有名なことと言えば敵の進入を防ぐための様々な仕掛けです。
門から天守までの道はとても入り組んでおり、いくつもの分岐路があり、大勢の敵が侵入しにくくなっています。城内にたくさんある小さな門は槍などの長い武器を持った兵士が通りにくくするためだそうです。
そして狭間という鉄砲を撃つための穴が城壁の至る所に空いています。

これはとても有名なことで皆様ご存知なことだと思いますが皮肉なことに、これらの仕掛けが役に立つことはあまりなかったのではないかと思います。
このような仕掛けが施されたのは江戸時代に入ってからでその頃には大きな戦乱がほとんどなかった時期です。 姫路城の城主も城と江戸を1年ごとに往復する参勤交代をしていたので城に出入りするためにとても苦労をしたのではないかと思います。「なぜこんな仕掛けを作ったんだろう」そう思うこともあったのではないでしょうか。


さらに江戸が終わり明治、大正、昭和となると今度は太平洋戦争が始まります。城の仕掛けを意に介しない爆撃機の登場によって城はなす術なく燃やされました。 現在の姿は戦後修繕、改築されたものです。



厳しい戦乱の世を生き抜くために様々な知恵を絞って作った城が数百年たち新たな技術によって なす術もなく破壊されるのは虚しさを感じざるをえません。 姫路城も築城当時は難攻不落の城だったかもしれませんが諸行無常の流れに逆らうことは出来ませんでした。



今日はこの記事を含め2つ記事を上げさせて頂いたので、こちらの方もぜひともご覧ください!!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
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体操はDスコア・Eスコアに分かれるが、Dスコアの中にもいろんな採点がある・・・!?
「床」は単純そうに見えるが実は奥深い。技の数量制限や技を連続して行うと点数が上がるなど、それを制限時間70秒のうち演技しなれなければならない!動画を交えた解説もあります!
●〇●〇成長を感じよう+G・L+ 器械体操(床・鉄棒編)●○●○


↑クリックできます↑


2015.11.08 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史



ラクダと戦争

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どうも皆様こんばんは 今私は友人と鳥取へ旅行に来ております。 冒頭の写真は今日行った鳥取砂丘のラクダです。 さて旅行中の多忙な身のため今日は短めとさせて頂きます。

皆様はラクダを見たことはありますか? 私は今日が初めてです。 意外と近くで見てみるとその大きさに圧倒されます。 ラクダに人が乗ると馬に乗っている人より高い位置に位置することができます。

戦争ではその高低差を活かしてラクダは馬に対して有利な戦いをすることができました。 それだけではありません。ラクダは独特の匂いを発しており(今日はあまり感じませんでしたが・・・) 馬がラクダに近づくとその匂いに驚いて怯んでしまうため、騎馬隊は突撃をすることが難しかったのです。

古代から中世の砂漠の戦争においてラクダが果たす役割はとても大きいです。 十字軍の苦戦も、モンゴル軍がカイロでマムルーク町に破れたのも不慣れなラクダとの戦いが大きかったのではないかと思います。

近代でもかの有名なアラビアのロレンス
がラクダ50機でアカバ要塞を攻め落としたことはとても有名です。 ラクダのこぶは脂肪が入っており、エネルギー源に限らず、断熱材としての役割を果たしており、血液には水分が含まれているため何日も水を飲まなくても生きられます。そのおかげで何百キロもある砂漠を超えられたことが作戦の成功につながりました。

今でも砂漠では貴重な移動手段として用いられています。 ラクダの存在は古代から現代にかけて歴史と密接に絡み合ってくるとても面白い動物です。

2015.11.03 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史



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急なことで申し訳ないですが、3/8をもってこのブログを休止させて頂きます。このブログを運営している者が、これから忙しくなりそちらの方に支障が出たり体調や健康に影響がでてしまうことを考慮してです。社会人になりこちらのブログを運営していく余裕がないので、みんなで決めました。こちらのブログを末永く読んでくださってる方々には勝手なことで申し訳ありません。何年さきに再活動するかもしれませんし、このまま活動停止状態になるかもしれないということで「休止」という形を取らさせて頂きました。7ヵ月と4日間でしたが、ありがとうございました。

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2015.8.4に立ち上げたブログです!
◆みんなとともに成長していきたい、そしていろんな価値観を共有していきたい。そういった意志で立ち上げました!普通とは違ったブログ、お互いに成長する!をモットーに立ち上げたブログです!毎日更新していきます!ちなみに大学生です!

 僕たちだけでなく、みんなと一緒にいろんな本や考えを通して、ブログを進めていきたいです!本をメインに書いていきますが、それ以外のことでもお互いを人間的に高めていきたいなと思っています!

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